娘の進路に戸惑う その7

2005年の1月、又々思いもよらぬ事が伝えらるる。。

ピアノ路線のルートの全く無い親の為、全て自分で道を開く娘です。ある団体に応募して審査結果「主催」決定との事です。

 

五年間のピアノ留学から帰国する11月に、日本演奏連盟が娘の「日本デビューリサイタル」を企画して下さるとの事。 

会場は大阪のいずみホールで、ポスターやチラシ等は全て演連が準備され、選曲や構成も全て打ち合わせ済でした。

 

問題は開催日が2005年11月17日木曜日の夜で、会場の約850席をどうして埋めるか?  娘はまだドイツにおり、挨拶状やチラシの発送、問合せの電話他日本では戦争状態です。

親戚、ご近所、友人、高校大学の関係者、仕事関係者、各種団体等、ありとあらゆる方々にお願いしました。

 

お陰様で約半数以上のチケットを予約購入してもらい少しは安心するが、一部の方から「大阪のいずみホールへはどうして行けば良いか?」と問題が発生する。地元と主要駅から大型バスを4台貸切り、足を確保しました。チケットの発送やホールの座席指定も苦労しました。

 

リサイタル当日は夜6:30開場、7:00開演に備え来て下さった方々に挨拶やら、誰と会話したか分からない有様。3歳から大学までお世話になった先生にも挨拶が抜けたりと大変でした。

 

会場の席は八割がた埋まり、演奏が始まり、私達夫婦は席で聴く余裕なんかありません。エントランスのモニターテレビを何とか少し見るというか・・・休憩の合間も挨拶等の対応で、後方の席に座り聴けたのは最後の2曲位で、聴くと言うより最後まで止まらず、体力がもって弾けるよう「祈る」だけでした。

 

約2時間半の演奏が終わり「bravo」や拍手が続くと私達の涙が止まりませんでした。

会場出口で娘と家族全員で、足を運んで下さった皆様に頭を下げ感謝し、お見送りしました。

控室に戻ったら全員放心状態です。後始末をし車で自宅に無事帰ったのは日が変わっており、長い長い一生記憶に残る1日でした。

 

ここから、娘のプロとしてのピアニストの始まりです。

 

リサイタルに対し、後に大阪文化賞奨励賞を頂きました。

 

そして12年間音楽に携わる仕事が出来るのも、周囲の皆様のお陰と感謝し、恩返しができるようこの先も日々精進する事を願うばかりです。

                                                          完.